人はなぜ流すのか。

人生初、の体験でございました、流しそうめん
ご家庭のお庭に、竹を割ってこしらえた本格派です。
 
うーん。なんとなく楽しいんですけどねー。
冷静に考えると、なんでこんなことしてるんやろー、という催しですよね。
涼しげといえば、涼しげなんですけどねー。
クーラー入った部屋で食う方が、絶対涼しいし。
「得られるもの」と「かかる手間」がアンバランスというかなんというか。
 
竹の設営および解体、水道とホースの管理。
そうめんを流す人と、ざるで受ける人。
 
「流すよー」
「はーい」
「それー」
「わー、きたー」
 
いまいち、盛り上がりどころがないんですなあ。
スリルとかサスペンスとか。
 
もっと、「何が流れてくるか、わかりませんよー」か
「つかみそこねると、たいへんなことになりますよー」が欲しいところです。
 
「うどんやー。重っ」
「温泉卵やー。皆の者、落とすでないぞー」
「白魚やー。踊り食いやー」
「そうめんやー、と思たら冷や麦やー」
 
うーん、たいして楽しくなりませんな。
どないしたものか。
 
「まーまー、そんなややこしいこと考えんと。
 流していきましょ、流して」
という理念の遊びなんでしょうね、これは。
 
ちなみに、「発祥」の説は数々あるようですが、
↓この店がいちばん堂々と謳ってます。宮崎なんすねー。意外。
http://www.pawanavi.com/shoop/2001/03/chihonoie/index.htm